次世代の税理士を目指しているあなたへ
弊社の経営理念は、「正義を貫く」。
これにはどんな思いと精神性が込められているのかを、これからお話ししていこうと思います。
正義とは
まず、「正義とは何なのか」から始めましょう。我々が考える正義とは、「人を成功させ自分も成功すること」です。
そして、成功とは何なのかというと「人を喜ばせ続けること」です。つまり簡単に言うと、人も自分も喜び合い続ける状態のことを正義と言います。
人も自分も喜び合い続ける状態?
え?何かピンとこないなあ。
確かに、こんな「正義」の定義に対して違和感を感じる人が多いことでしょう。
なぜなら正義とは、戦争、ヒーロー戦隊の悪役、ブラック企業、政治汚職などの悪を懲らしめるというイメージが一般的だからです。
ほとんどの正義には、必ず制裁や懲罰が伴いますよね。
一般的な正義のイメージは、正しいことと間違っていることを明確に線引きするようにとても強硬で独善的です。
特に我々の業界で言えば、法を厳格に順守することが正義であり、法を破る悪は罰せられます。
このように、一般的に正義には必ず罰が伴います。
それなのに、なぜ「人も自分も喜び合うこと」が正義なのか。
無理があるように感じられませんか。実は、これには深い理由があります。
そこで、わかりやすい例を出してみましょう。
アシュラとインドラ
アシュラは正義の神で、インドラは力の神です。
アシュラには舎脂(シャーチー)という美しい娘がいました。
あるとき、アシュラの娘を見て気に入ったインドラは、力でもって彼女を無理やり自分の宮殿に連れ去ってしまいました。
父親のアシュラは当然怒ります。そして、武器をとってインドラに挑みます。
しかし、インドラは力の神です。
正義の神であるアシュラが力の神に勝てる訳がなく、戦いはアシュラの敗北に終わります。
それでも、娘を奪われたアシュラの怒りは烈しく、なおもアシュラはインドラに戦いを挑むのです。
戦いは何度繰り返しても、アシュラは負け続けます。にもかかわらず、アシュラは執拗に戦闘を繰り返します。
その結果、面倒になったインドラは、ついに正義の神のアシュラを神々の世界である天界から追放してしまったのです。
「阿修羅」はインドヒンドゥーの『太陽神』もしくは『火の神』と表記しています。インドラは、 帝釈天と呼ばれています。
このアシュラ(阿修羅)とインドラ(帝釈天)戦いの場を修羅場(しゅらば)と呼ぶそうです。
仏教はこの神話に基づいて、敗北者のアシュラを「阿修羅」または「修羅」と呼んで魔神にし、勝利者のインドラを「帝釈天」と呼んで護法の神にしました。
すなわち、正義の神を魔類にし、力の神を護法の神としました。
それが仏教のとらえ方です。この結末に納得できない人が多いと思います。なぜなら、 父親として娘を暴力でとられたアシュラが怒るのも当然のことですからね。
確かに、帝釈天の行動はほめられたものではありません。
でも、過去の出来事をいつまでも根に持って、みずからの「正義」にこだわりつづけている阿修羅の心の狭さの方がもっとよくない。仏教ではそう考えるているのだそうです。
確かに仏教ではそうかもしれないけど、なんかシックリこないなあ。
相手を認め合う
では、我々はどう考えるとよいのでしょうか。
例えば、可哀そうな阿修羅に同情する考え方もあるでしょうね。
その他にも、なぜ帝釈天は、阿修羅に結婚の申し出をしなかったのかと疑問に思う考え方もあるでしょうし。
もしかすると、どうしても阿修羅は結婚を認めなかったので、娘と帝釈天が駆け落ちしたんじゃないかという考え方もできるでしょうね。
なぜかというと、その後の娘は帝釈天と共に幸せに暮らしたそうですから。
いろいろな考え方があって、然るべきだと思います。
しかしこう考えてみると、一体正と悪って何なのでしょうか。
それぞれの人の立場や生活環境、教育、文化、信念、家族、性格、職場環境、感情、気分など、全く違いますよね。
もし唯一言い切れる「正」があるとしたら、人によって考え方は違うということだけです。
それを前提とすると、自分が正だと言い張って相手を攻撃したり傷つけたりするなど、とても見識が狭い行為だと思います。
「人道に外れない限り、人それぞれが違うことを認め合う」このことこそ正義の大前提です。
背景(コンテクスト)を考える
こう考えると、正義を語るには人の立場になって考える広い心と、俯瞰できる深い洞察力が必要だということです。
よく考えてみてください。全ての出来事や事象には、背景(コンテクスト)というものがあります。
先ほどの例話でわかりやすく言えば、帝釈天が阿修羅の娘をさらった事実だけがフォーカスされています。
そもそも不思議なのは、なぜさらわれたはずの娘が、父親を滅多滅多にした帝釈天と幸せに暮らしているのでしょうか。
もしかすると阿修羅は、帝釈天と娘が相思相愛なのにも関わらず、結婚の申し出を完全にシャットアウトして強烈にはねのけたのかもしれません。
仮にそうだとしたら、阿修羅は一転して、ただの傲慢で自分勝手なオヤジです。
それでも阿修羅は正義の神です。
だから、いろんな方向から見て、「なぜこんな出来事が起こったんだろう」って想像とイメージを極限まで膨らませる能力は、人としてとても大事なことです。
どんな人だって、どんな事柄だって、必ず背景(コンテクスト)があるんですよ。人の気持ちや愛があるんですよ。誰だって幸せになって喜びたいんですよ。
正義を貫く
そこで、もう一度正義を考え直してみます。
我々、税理士法人士魂商才は、
『自分も人も喜び合うために、俯瞰した知識、知恵、視野を高め続ける素直な心を持った集団』です。
これが、『正義を貫く』ことの意味です。
だから、法律(特に税法)というものを、ここでもう一度考えてみてください。
なぜなら我々は、税法を中心とする法律を扱うことが仕事だからです。
絶対に勘違いしていけないのは、法律は正義ではないということです。
法律とは、人間社会や生活を円滑に送るためのツールです。
我々は裁判官であってはなりません。
人を裁くなんて、もっての外です。
人と自分が喜ぶことに法と知識を使ってください。
この士魂商才で思いやりと想像力を目一杯命を燃やし切りながら鍛え続けてください。
独立支援制度挑戦への資格要件
以下は、独立資金や考え方、スキルを給料をもらってるのに、全てタダでもらえる独立支援制度挑戦への資格要件です。
会計事務所業界は、たとえ実務経験が長くても資格がなければただの人です。
逆に言うと、税理士資格をとることはゴールではなく始まりです。
過去の栄光にしがみつかず、常に前を向いて成長をし続けてください。
給料をもらって自分を喜ばせる高い精神性とスキル、他人を喜ばせる高い精神性とスキルの4つを身に着けることができるます。
本来ならば、高額な授業料を払うべきなのでおかしなことです。
しかし、成功者というものは今現在の自分のあり方を未来の理想の自分像から遡りって考えます。
「今現在の自分がこんな毎日を暮らしているのは、5年後の自分が崇高なあり方とやり方で、人も自分も社会も喜ばせているからだ」
このように考える人物であってください。
原則的に、5年後には卒業していただきます。
しかしその間に覚えるべき量と、こなすスピード感はかなり強烈だと思います。その間に、問題意識と問題解決能力を常に研ぎ澄ます訓練を積んでもらいます。
もちろん、税理士試験合格も目指してください。
布井は勤務しながら、試験免除を受けずに9年かけて国税三法を取りました。だからできます。試験に合格するまで挑戦し続ける往生際のなさは、私たちは大好きです。
全てのステージは、あなたのためにあります。
あなたしか救えない将来クライアントに、あなたを惚れさせてください。
そのためには、日々起こる問題は、自分の経験のための絶好の機会だと思って引き受けてください。
我々はあなたを放置はしませんが、手伝いません。
抱えている仕事や課題が山積みだろうと、「はい、私の出番です」と言って喜んで引き受けてください。
あなたが一人前になる期間として、原則5年間を設定しています。
少なくともその期間は我々はあなたにとってのメンターです。
どんなに理不尽だと感じても意義が理解できないと感じても、全ては自分のためであると信じ切ってください。あなたのためにならないことなど、この世には一つも存在しないのですから。我々が支持することや教えることに対しては、「はい」か「イエス」のどちらかしかないと覚悟してください。
入社応募要領
こんなことを書いてきましたが、我々は、日本のためだとか会計事務所業界のためだとか、そんなことは考えていません。
ただ、正義を貫く士魂商才のために存在しています。
このサムライ魂が、結果として地域、業界、国へと伝播していくと良いなとは思います。
命の炎を完全燃焼させる覚悟で取り組んでまいります。
しかし、時間は有限です。また日々の業務も多忙を極めています。
なので、我々が魂を注入できる人数は、同時に二人までだと思います。
もし追加で新しいサムライを募集するとしたら、5年後に卒業生を迎えてからの欠員募集になるでしょう。
我々の正義のコンサルスキルとあり方は、現実として他人も自分も喜びの域に足を踏み入れました。
このあり方とやり方を、全て余すところなくタダであげます。
次は自分の番だと覚悟を決められるサムライは手を挙げてください。
我々は覚悟を決めて、身も心も投げ出したあなたのために命の炎を燃やし尽くすことをここに誓います。

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